いくら貯めれば安心なのか、という問いの罠
「あといくら貯めれば、安心できるんだろう。」
ぼくは、この問いを何度も自分に投げかけてきました。
「もう少し貯まれば安心できる。」
そう思っていたのに、
貯金が増えるたびに「もう少し必要だ」と思ってしまうのです。
目標額に近づくと、
なぜか目標のほうが逃げていく。
それはまるで、
追いかけても永遠に届かない
「地平線」を追っているようなものでした。
「安心できる金額」は、なぜ逃げ続けるのか
地平線は、
歩いても歩いても同じ距離だけ遠ざかります。
「安心できる金額」も、それとよく似ています。
年収が上がれば、
生活水準も上がる。
すると
「これくらいは必要」という基準も上がり、
いくら貯めても足りない感覚が消えない。
お金が増えても不安が減らないのは、
努力が足りないからではなく、
そもそも安心が「金額のゴール」の側にないからです。
ぼくは安心を買おうとしていました。
でも、買えませんでした。
お金を増やしても
幸せになれるという単純な話ではないことに、
薄々気づき始めていたのです。
「足るを知る」は、お金をあきらめる話ではありません
昔の人は「足るを知る者は富む」と言いました。
これを「欲を捨てて我慢しろ」
という説教だと受け取ると、少し窮屈です。
でもぼくは、
もっと実用的な知恵だと思っています。
「自分にとっての十分」を自分で決めておかないと、
他人の基準に一生振り回されてしまいます。
いくらあれば自分は満たされるのか?
どんな暮らしができれば、
自分は幸せなのか?
この問いに自分なりの答えを持っている人は、
地平線を追いかけるのをやめて、
今立っている場所の景色を楽しめます。
「安心」を探すのをやめて、「暮らし」を考えてみる
ぼくが最近やっているのは、
「金額」ではなく
「暮らし」から
考え直すことです。
一日をどう過ごせたら満足か。
何があれば心が穏やかか。
それを言葉にしてみると、
意外とお金のかからないものが多いことに気づきます。
散歩、静かな朝のコーヒー、
気の合う人との会話。
もちろん、備えは必要です。
お金の心配をやめようとは言いません。
ただ、「いくら貯めれば安心か」
と問い続ける代わりに、
「どんな暮らしなら満ち足りるか」
と問い直してみませんか。
地平線を追うのをやめた瞬間、
足元の景色が見えてくるはずです。
あなたにとって
「十分な暮らし」とは何でしょうか。
お金の話でも、
時間の話でも構いません。
よければ返信で教えてください。
毎週いただいた返信も参考にしながら、
このニュースレターを書いています。
「いくら貯めれば安心か」という問いは、
何度でも頭に浮かびます。
だからぼくも、
ときどき立ち止まって、
自分に問い直しています。
「自分にとって十分な暮らしとは何だろう」と。
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金額から考えると不安で決めてしまうのでしょうね。
不安は際限なく膨らむのでいつまでも終わりがないのかもしれません。
生活から考えるというのは地に足がついた感じがあっていいですね✨
金は手段であって目的ではない、それが分からず、
「金だけ、今だけ、自分だけ」な国際金融資本やアクティビスト達に読んでもらいたい記事ですね。